この時代に現実店舗って必要?
noteに投稿した記事をこちらにも投稿します。
先日から新しいことを始めると息巻いているが、そのことに伴って現実の店舗の強みは何かと考えていた。
ネットでなんでも買える時代。 クリック1つでなんでも家に届く。外に出る必要なんて全くない。 これからこの傾向はどんどん進んでいくだろうし、従来のモノを売る店舗というのはどんどん消えていくだろう。 それでも何故私は現実の店舗へと足を運ぶのか。
私の好きな本で考えてみた。 ネットが登場してからも私はよく本屋や図書館へと行く。その理由は何か。私は日本には住んでいないので、ネットを利用した方が明らかに楽である。それでも実際に限りある時間を使って足を運ぶのだ。
その理由は意外と明白だ。私は「本を実際に探す」という行為そのものを楽しんでいるのだ。数ある書籍を自分の目で見て、これだ!と思ったものを手に取る。そして読む。トレジャーハンターのようなものである。私にとってはここからが読書で、宝探しがなくなってしまっては読書の楽しみは半分程に減ってしまう。
教育だってそうだ。 今はネットに知識がゴロゴロと転がっている時代。その気になれば何だって学べるし、実際に私もそれで学んでいる。それでも、私が実際に教育機関に足を運ぶ理由は何か。
私はいつもこの理由を「人に会うためだ」と言っている。 教育機関には、そこにしかない環境がある。そんなことを言ってしまえばネット上だって同じことなのだけれど、ネットでは自分でカスタマイズが思う存分出来る分、情報の取捨選択が容易である。 それが一つの魅力であり、多くの人が入っている「時間を無駄にしない」なのだけれど、無知の世界というものは大抵、自分の興味からは程遠いところから輸入されてくるものばかりである。となれば、自分好みにカスタマイズが出来てしまうネットでの環境と現実の環境ではどれだけ”不測”の事態が起きやすいだろうか。ネットでは大きな形で不測の事態が起きやすいが、現実では小さな形で日常に溶け込んで何個も何個も日々アドベンチャーが起きる。 私たちは他人にある程度委託した形のカオスの中を求める傾向にある。だって知っていることばかりじゃつまらない。
つまりそういうことなのだと思う。セレンディピティなり偶有性なり何なりこれを表す言葉はたくさんあるだろうが、私たちは想像ができないことが起こることを好み、それを求めて外に出る。旅なんてその典型だ。 計画だった旅はたしかにおもしろいけれど、計画通りに滞りなく進んだ旅は直ぐに忘れてしまう。 本を読むことだってそうだ。初めからストーリーを知っている本を楽しむために買うような人は極めて稀だろう。(『本として手元に持っておきたいから』という理由で買う人もいるが、これはコレクション精神か作者への愛着が混ざっていることが多く、純粋な娯楽を動機とするものとは遠い)
つまりだ。 私たちが現実の店舗に求めるものは変わってきている。一言で言えば「アドベンチャー」と「ストーリー性」だ。現実の店舗はもっとアミューズメント化していくべきなのだと思う。
そしてもう1つ現実店舗の強みは『反射性が高い』ということである。 例えば、何か食べたいと思いついた時あなたは近くで買えるのに態々ネットでオーダーをするだろうか。そんなことをする人は稀だろう。だって今すぐ買えるんだから。 ネットでオーダーしたら届くまでにラグがある。どれだけ配達技術が進化したって、配達をしているうちは自分で買いに行くその"反射性"に勝てないのである。ぱっとおもいついたときにそこにある、というのは結構強い。 (しかし、これも一部の業界はeBOOKなどに支配されつつあるのだが)
エンターテインメントは時代によってものすごいスピードで変わっていく。
前、こんなキャッチコピーが話題になった。
『結婚しなくても幸せになれるこの時代に、私はあなたと結婚したいのです』
まさにこれだと思う。
『現実に動かなくても何とかなるこの時代に、私は現実で生き続けたいのです』
これからのキャッチコピーはこれにしよう。